学園の歩み・国際交流の歩み

中学校開校式

中学校開校式

高校開校式

高校開校式

'77年当時のキャンパス

’77年当時のキャンパス

'83年航空写真

’83年航空写真

創立50周年記念 サイエンス棟

創立50周年記念 サイエンス棟

現在のキャンパス

現在のキャンパス

'16 ラーニングコモンズ完成

’16 ラーニングコモンズ完成

1948
日本基督教団大阪長野教会の教育機関「清教塾」誕生
1951
清教学園中学校が開校(河内長野市古野町)
1967
現在の校地(末広町)に移転
1968
清教学園高等学校(普通科)を設置
1973
国際化を先取りして高校に英語科開設
1975
インターアクトクラブが韓国へ海外研修
年間留学生を初めて受け入れる
1979
清教学園高校生9名を年間留学生としてアメリカ、ニュージーランドへ派遣
1980
国際的な奉仕活動開始
1983
高校15期生が海外修学旅行で韓国へ
1984
清教学園幼稚園50周年を迎える
1985
学園ホール棟完成
1986
高校の制服をブレザー型にリニューアル
1987
高校生のための海外英語研修開始
(米国カリフォルニア州でホームステイ)
海外修学旅行を中国に
1988
米国インディアナ州カーメル中学校が
清教学園を訪問
清教学園中学校と姉妹校提携
1989
清教学園中学校が春休みにカーメル訪問
1990
カーメル中学生20名に
カーメル高校生3名も加わって来訪
1991
創立40周年/チャペル・中学棟が竣工
カーメル高校と清教学園高校が姉妹校提携
1992
中高一貫6年コースを設立
カーメル中学校保護者会(PTO)と清教学園PTAの
交流開始
1993
夏休みに海外英語研修をオーストラリアで実施
中国の南京外国語学校と姉妹校調印
豪州キングスクリスチャンカレッジと友好校となる
1994
河内長野市とカーメル市が姉妹都市提携(清教学園の仲介)
国際交流20周年記念式典
1997
普通科を文系コースから国公立対応の理数コースに変更
カーメル校姉妹校交流10周年
1998
清教会館が完成
1999
豪州キングスクリスチャンカレッジと姉妹校提携
カンボジアのプノンサンルン小学校に校舎寄贈
2000
創立50周年記念サイエンス棟が竣工
英国ヘレフォード・カテドラル校で初めての語学研修
2001
創立50周年/チャペルにパイプオルガンを設置
タイ・アユタヤの高校生研修受入
2002
総合図書館リブラリア(総合学習室・スタディホール)完成
2005
総合体育館が完成
2006
M棟校舎が完成
高校38期生 海外修学旅行でベトナムへ
2007
中学校にS特進コース、大学連携コースを開設
豪州キングスクリスチャンカレッジ訪問
2008
英国セントピータース校訪問
カーメル校来校
豪州キングスクリスチャンカレッジ来校
2009
カーメル校訪問
2010
中学校のS特進コースをⅠ類・Ⅱ類に区分
豪州キングスクリスチャンカレッジ訪問
英国ヘレフォード・カテドラル校訪問
カーメル校来校
2011
創立60周年
豪州キングスクリスチャンカレッジ来校
カーメル校訪問
2014
清教学園幼稚園80周年を迎える
カーメル校来校
2015
カーメル校訪問
豪州キングクリスチャンカレッジ訪問・来校
2016
ラーニングコモンズ完成
カーメル校来校(14回目)
英国ケンブリッジ研修
豪州キングクリスチャンカレッジ訪問
2017
カーメル校訪問(派遣14回目)
豪州キングスクリスチャンカレッジ来校
現代青雲高校(韓国)と姉妹校提携
中学67期 オーストラリアグローバル研修

清教学園で学ぶ生徒とは

 私はこの卒業式にあたって皆さんに、すすめの言葉を申し上げるのでありますが、感慨を禁じえない一つの事があります。といいますのは、私は長い間夢を見てきました。そしてその夢が、やっと形になりつつあるという気がするのであります。今年は皆さんもご存じのように、九十名に達する生徒が入学してきます。これは本校にとって開びゃく以来の出来事でありますが、ただそれだけならとり立てていう程の事ではないかもしれません。ところが願書をだすについて、学校へ問い合わせにこられた父兄のどの人も、「私の近くに清教学園に通っている子供さんがいるのですが、あの様な子供に私の家の子供も指導してやってほしいのです」とおっしゃるのです。又、「学校へ来る途中で出会った子供さんが親切に道を案内してくれましたが、その態度に感心しました」とおっしゃる方もありました。私はそれをききながら、年来、私がいいつづけてきた「学校の看板は広告、宣伝ではない。そこで学ぶ生徒そのものである。この生徒を見て下さい。そして判断して下さい、とさしだして恥ずかしくない人物こそ、学校の本当の看板だ」という主張がようやく実りつつあるのだと、かすかながら自認できるようになってきたのです。
 むろんまだ前途は遼遠であります。学校で家庭で色々な問題はありましょう。誰一人完成された人間はありません。しかしこの殺伐な社会の、殺伐な学生達の中にあって君達は、美しい足跡をのこしてきたのであります。人々の目にはそううつっているのであります。

(植田眞一『主の言葉はとこしえに残る』より)

*植田眞一:清教学園中・高等学校初代校長
*執筆年は1962(昭和37)年

 四年前のことですが、清教学園も学校の所在地ぐらいはPRしなければということで、河内長野の駅構内に看板を出しました。
 ところが、その一週間後に高校生徒会の役員が私のところに来まして、「先生、もう私らは清教の看板ではなくなったのですか」と言います。それは、前の校長、植田先生が「清教は看板を出していないが、この生徒たちが看板です」と訪問者に言っておられたのを受けとめたもので、そのことが生徒の誇りであったわけです。
 私は本当にその反論を聞いてうれしかった。「清教学園は健在である」と思いました。そこで、私は「いや、あれは学園の目印であって、君たち、生徒が看板であることは、少しも変わっていない」と返事をいたしましたが、それが真実であります。

(中山昇『みおつくし』より)

*中山昇:清教学園中・高等学校第2代校長
*執筆年は1991(平成3)年